さわけんの雑記

アイマスのこととかを適当に書くかもしれない

天空橋朋花のSisterの考察

ミリオン5thライブお疲れ様でした。ここでは天空橋朋花の曲であるSisterについて書きます。

僕はこの曲を初めて聞いたとき歌詞にMaria Trapと似ている部分があるなーと感じました。
にもかかわらずMaria Trapからは感じられた朋花の聖母としての強さ、そして決意を感じることができなくて少しもやっとした感じを抱いてました。
この曲は朋花を実際に演じ、一番朋花のことを理解しているであろう小岩井ことりさんが作詞していることもありより一層複雑な気分になっていました。
そして実際に5thライブでSisterを聞いてこの曲が表現したいものについては一応自分の中で納得のいく解釈ができました。
それでもなんかスッキリしなくてライブが終わってからもずっと考えてやっと何で違和感がぬぐえないかがわかった(ような気がする)のでそれを書こうと思います。

 

・曲に対する考察
私はこの曲は天空橋朋花の聖母である自分と15歳の少女としての本音との間での葛藤を歌った曲なんだと思います。

歌詞をなんとなく解釈すると
聖母としては抱いてはいけない恋という感情を持ってしまったことに対して「私は駄目だな」、「私は弱いな」といった弱音を漏らしてしまう。
その気持ちを語ってはいけないと「解っている」、けれどどうしたらいいか「分からない」。でもそんな感情をあなたには「揺らぐ微笑みから見つけて」欲しい。
こんなことなら「あなたを忘れたい」、かなわぬ恋なら「応えなど要らない」。
しかしそんな感情に「為す術もなく」そして「奪ってほしい」そんな本音を漏らしてしまう。
こんな感じで朋花の揺れる感情を表現しているのかなと思います。

Sisterというタイトルはこの曲は朋花の聖母としての一面ではなく、少女としての一面を表現した歌であるため一人の人間の女性であるSisterというタイトルなのかなというのが一つ。
もう一つシスターという職業は結婚することが禁じられています。それを恋という感情を抱いてはいけない朋花の立場と重ねてこのタイトルなのかなというのがもうひとつじゃないかなと思います。
こう考えたらすごくいいタイトルだなってちょっと感動してしまいましたね。

とにかくまとめるとこの曲は朋花の少女としての一面を歌った曲だと"プロデューサー"の私は解釈したんです。

 

・違和感のこと
さっき書いたように私はこのSisterという曲を朋花自身のことを歌った歌だと解釈しました。
しかしここで天空橋朋花というアイドルがどんなアイドルだったかを考え直してみます。


簡単に言えば天空橋朋花というアイドルは世界中の子豚ちゃんたちに聖母の愛を届けるためにアイドルをしています。
だから子豚ちゃんたちの前では彼女は聖母として子豚ちゃんたちの求める姿で在るわけです。
つまり、少女としての一面、弱さを見せることがあるのはプロデューサーの前でだけであり、子豚ちゃんたちにはそんな姿は見せないように振舞っているはずなんです。
(全部は確認できてないけど手持ちの資料で確認した限りではグリマスとミリシタのコミュで少女らしい一面を見せているのはプロデューサーとの会話でのみ)
結局何が言いたいかというと、もし朋花がミリオンライブの世界の中でこの曲を子豚ちゃんたちに向けて歌っているとしたら、朋花は自分の少女としての一面を子豚ちゃんたちに曝け出してしまっているということになります。この辺に矛盾を感じていたことが多分私がこの曲に違和感を覚えていた理由なのかなと思います。

もしSisterを朋花の少女としての一面を歌った曲なのだととらえるならば、この曲を受けとっていいのはプロデューサーだけでありこの曲は"アイドル"天空橋朋花の歌ではないのかもしれない。
この曲をアイドルの曲としてとらえるなら「一人の修道女の禁断の恋の歌」と解釈するのが正しいのかもしれませんね。